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ここインドにおけるある人々は、何の疑いもなくこのブッディズムがアンタッチャブルの宗教である、というだろう。
彼らはそしり、そしてけなした評言を下す。
その時代のブラーミンたちはバグワン・ブッダでさえも容赦しなかった。
無礼にも彼らはブッダを「ゴータマ」とか「ボー・ゴータマ」とかと呼ばわった。
彼らはブッダに対して非礼な態度を示したかったのだ。彼を侮辱したかったのだ。
この宗教に対するあらゆる非難や悪口にもかかわらず、ブッディズムは
ヒンドゥーイズムよりもヨーロッパやアメリカにおいてよく知られている。
あなた方は驚くだろう。もしラーマやクリシュナ、シャンカラや
他のヒンドゥーの神々を売ったり輸出しようとして取っておいても、誰もそれらを買おうとしないだろう。
しかし、代わりにもしブッダの像を朝、売りに出しておいたならば、夕方には全部売り切れてしまうだろう。
インド内では多くの人々がヒンドゥーイズムを知れ渡らせるために努めてきている。
彼らが海外へ出た場合、そして世界の状態はどうなのかを語る場合、
もし海外で有名で崇敬されていて、よく知られている名前があるとすれば、
それはラ−マやクリシュナではなくて、ブッダの名だ。
誰もインド以外ではラーマやクリシュナを知りはしない。
我々のこの宗教が世界中に広がらないだろうという理由はどこにもない。
多くは実に、われわれがそれをいかに生きるかにかかっているだろう。
我々は我々が選んだ道を恐れずに前進しなければならない。
我々は人生生活への新たな道を見いだした。
そしてわれわれはそれに従わねばならない。この道は向上へと導いてくれる。
実際、これは新たななにかではなく、われわれが外国から輸入したものでもない。
仏教はこの国の宗教なのだ。それは二千年以上の古いものだ。
私はもっと早くこの宗教に入信しなかったことを残念に思う。
ブッダの教説は永遠である。しかしそのブッダでさえ、それらの教えに絶対に過誤がないとは言い切らなかった。
ブッダの宗教は時代に応じて、いかなる他の宗教も持っていることを主張できないような性質に替わる能力と度量を有している。
インドにおけるブッダの教えが滅びた主な理由はモスレムによるインド侵略であった。
幾千もの仏像が手足や顔をそぎ落とされ、破壊され、寺院は汚され、何十万もの比丘たちが虐殺された。
これらの恐るべき出来事に怯えて、比丘たちは隣国へと逃れた。
あるものはチベットへ、あるものはチャイナへ向かった。彼らは世界中に拡がった。
結果、この国から比丘たちは消え去った。
ダンマを信ずる人々は危険な時代にダンマを守ることを要求された。
ギリシャ人の王、メナンドロスが北西地方へやってきたとき、彼は宗教的問題の専門家としての名声を打ち立てた。
彼はしばしばブラーミンを宗教に関する議論の内に論破した。
しかも彼らは智慧ある王を満足させ得なかった。
ブッダの教説にひかれて、彼は比丘と仏教学者を彼の王宮に招いた。
しかし誰もメナンドロス王と剣を交えようと覚悟する者はいなかった。
彼は臣下に誰かダンマを布教している比丘を連れてくるように命じた。
比丘たちは一人の学識ある、融通無碍な比丘であるナーガセーナに話を持ち出した。
ブッダの教えについて対話することを。彼は学問と才能に傑出した比丘であった。
メナンドロス王とナーガセーナ比丘とも教義問答は
「ミリンダ・パンハー」の名によって知られている一冊の本の形にまとめられ残された。
この書の中で次の問いが問われた。
「何が宗教の破滅をもたらすか?」
宗教の没落の理由を説明して、ナーガセーナは答えた。宗教の没落には三つの理由がある。
ある宗教には没落の運命が定められている。もし
一、その根本原理が力強くなく、その基礎が弱い場合。
二、その伝道者や布教者が、対抗する伝道者や布教者にまさって、十分に修学していない場合。そして、
三、もしその宗教とその原理が寺院や礼拝の様式に具体化されて、一般の人々によく受け入れられていない場合。
真の宗教は決して滅びない。真理に、正義に、強い原理に基づかない宗教は長くは続かない。
それは単なる一時的存在だ。
時の経過とともにそれは退歩してゆき、しまいにはしぼんでしまう。
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